さばみのIgA腎症との35年ノート

IgA腎症とともに生きて35年。いよいよ扁摘ステロイドパルス治療がはじまりました。

IgA腎症の原風景

小学生のころは、近所の歩いて行ける町医者にかかっていました。

尿タンパクが出ているけど、よくある。起立性尿タンパク。

などの単語を言われた記憶があります。

小学生から中学生にかけて厳しい運動部に所属していて練習がつらかったので、「この尿タンパクで運動部は続けられません。」って言われないかな~と密かに期待したいのですが、それは大学病院でも言われませんでしたね笑。

ずっと自覚症状も病識のない私。そもそも「尿タンパクはいつも言われるけど、腎臓?」ってくらい。

その私が IgA腎症=腎臓が悪い病気 と意識したのは1回目の腎生検の時25年前でした。

だいぶ前の話です。あれから医療技術はものすごーーーーい進歩しています。

だから今は当てはまらない話もあります。

 

大学生のころ、ずっと通っていた大学病院から、IgA腎症の確定診断を出すため入院による腎生検が必要と言われ長期休みに入院とあいなりました。

当時は6人部屋。私は真ん中のベッド。右の人と向かいの人、向かいの左の人。みんな私の母親より年上の人たちばかりでしたが、毎日楽しく楽しく大笑いしながら入院生活を満喫してました。本当に楽しかった。話をしていた内容はほとんど覚えていませんが、みんなで大笑いして、看護師さんからうるさいと怒られていた記憶もあります。

私の向かいのベッドにいた人は、はじめて透析をする入院でした。

いつも楽しかった病室でしたが、その人がはじめて透析をした日、その人はぐったりして病室に帰ってきました。それから数日間ずっと寝たきりでした。あまり話も出来ませんでした。

すでに透析をしていた他の人たちは「透析はね、大変なんだよ。はじめのうちはほんと大変なんだ。」と教えてくれました。

私の部屋6人中4人は透析をしている人でした。

 

あの時の、ものすごい楽しかったにぎやかな病室の雰囲気と、腎臓病と透析の現実。

私のIgA腎症とは、いったいどうなるものなのだろうかという不安。

あの時の気持ちが、多分、私が自分自身ではじめてIgA腎症を自覚した原風景なのではないかなと思います。

 

その時、大学の友人たちがお見舞いに来てくれました。自分で言うのなんですが、私以外本当に美人。そんな友人たちを見て、主治医が「友達みんな美人なのになんで入院したのがさばみなんだよ。」と一言。部屋中大爆笑でした。

ずいぶん時代が変わった感がありますね。