さばみのIgA腎症との35年ノート

IgA腎症とともに生きて35年。いよいよ扁摘ステロイドパルス治療がはじまりました。

妊娠と出産のこと②

分娩室に入ってから2時間ちょいで出産しました。

主治医ではない腎臓内科の医師もいましたし、多分研修医的な医師もいて、5~6人の医師に囲まれての出産でした。

その医師たちが、私が痛い思いをしているというのに、ゴニョゴニョと話をしている時がありました。私の血圧が上がりすぎてしまい、すぐさま舌下に降圧剤が入れられたのです。出産後に、その時は血圧が200を超えていたと聞きました。あとは普通の分娩でした。

生まれたのは2300gくらいの小さな赤ちゃん。。赤ちゃんが小さいというのはお腹の中にいたころから言われていましたし、尿蛋白が出続けていながらの出産でしたから赤ちゃんに届く栄養が少ないということはある程度は覚悟していました。同時期に生まれた新生児室のベビーベッドで寝ているたくさんの赤ちゃんの中でも小さかったです。

生まれた時こそ小さかったですが、その後はとても元気に育ってくれました。

妊娠中毒症になり「帝王切開して赤ちゃんをすぐに外に出さないと。」と言われるほど大変だった時でも、私のお腹の中でしっかり動き回りけり続けていてくれましたので、頑丈な子なんだろうなとは思います。それは、私がIgA腎症だとかそういうこととは全く関係なく、ひとつの生命の力だと思いました。もう、私にはどうしようもないこと。IgA腎症の私のお腹の中にいた子がたまたま頑丈な子だったという事実があるだけだと感じています。

妊娠が分かった時には「生みたくない。怖い。」と言い、友人からあきれられしかられたりするほど不安でした。出産自体に不安があるのに、IgA腎症があるため普通の出産よりリスクが高いと聞き、ますます不安は高まっていました。その不安は、仕事することで吹き飛ばしていました。仕事をすることでたくさんの人と出会い会話し感情を動かし学び、そんな日常の一コマ一コマから不安を昇華させていきました。

IgA腎症は他の人からはとても分かりにくい病気です。自分も「病気だっけ?」と思っちゃう時もあるくらい。だからこそ、外に出しにくいIgA腎症ゆえのちょっとした不安(本当に生んで大丈夫かな。妊娠したから悪化しちゃうんじゃないかな。など)があります。「口に出すと大げさだなって思われそう。」とか「病気を言い訳にしてるんじゃないの。」などと思われてしまうんではないかとブルーになったりします。

IgA腎症のことを言える人がいたら言いましょう。家族でも主治医でもOK。SNSでもOK。口に出して外に出した方が体のためにいいんです。IgA腎症だけに限りませんが、ストレスをためることが最も良くないことのひとつです。

私は妊娠35週すぎにプライベートでものすごい高ストレスにさらされる事がらが起きてしまいました。その高ストレスが引き金で妊娠中毒症になってしまい腎機能も低下したのだと思っています。

ストレスは意識的に減らさないと減らないもんです。私は「あーなんか弱気だ。ネガティブだ。ものごとを悪く考えているぞ。」というストレスたまりサインが湧いてきたら「よっしゃ。このストレスとおさらばするために寝る!」と意識的に21時前に寝ます。これだけでだいぶ違います。

妊娠35週を過ぎてから、いい意味で「どうしようもない。」と開き直りました。人間をひとりこの世に生み出すのだから、IgA腎症の私の体になんらかの不具合が生じることは当然だろうと。「もしIgA腎症が悪化したら治療するよ。もうしょうがない。」と考えられるようになりました。こうなるまでには「私の脳みそ君よ、開き直ろう!」と、意識的な思考訓練をだいぶ繰り返しましたが。

 

出産後の私の体はものすごく早く回復しました。血圧はあっという間に100台に戻りました。たしか赤ちゃんと一緒に入院している1週間中に戻ったと思います。尿蛋白も激減しました。出産1年後には尿蛋白(-)になったのです。体重も順調に減りました。これらのスムーズな体調回復は28歳という若い年齢だったというのも大きかったとは思います。

まだIgA腎症の治療も始まっていない頃でしたから、母乳育児も出来ました。薬を飲み始めていた場合は母乳育児ができるかどうかは医師に確認が必要だと思います。

 

一人目の出産後に腎臓内科の主治医に言われたことがいくつかあります。

「2人目の出産は1年後以降。出産後1年間は体が元に戻らずに腎臓に負担がかかる。」

「妊娠出産はIgA腎症の予後に影響を及ぼす。」

「IgA腎症患者は妊娠中に妊娠中毒症になりやすく、妊娠中に妊娠中毒症になったIgA患者は高血圧を呈しやすくIgA腎症そのものが重症化しやすくなる。」

 

一人目の出産後、尿蛋白が一時的に(-)になり、大学病院腎臓内科受診が半年に1回に減ります。確か2年くらいは尿蛋白(-)だったと記憶しています。

仕事と育児をして尿蛋白(-)で自覚症状も何もなくIgA腎症ってことを全く忘れてしまうような日常を過ごせた数年間でした。

 

その4年後に2人目を妊娠出産します。32歳です。

2人目の妊娠出産はまるで景色が違っていました。