さばみのIgA腎症との35年ノート

IgA腎症とともに生きて35年。いよいよ扁摘ステロイドパルス治療がはじまりました。

「過去ロニアの栄光」・・『火垂るの墓』から

高畑勲監督の追悼として、昨日の金曜ロードSHOW(日テレ)で「火垂るの墓」が放送されました。コナン君の予定だったらしいですね。

だいぶ若い頃に見た映画です。若い頃は「あの親戚のおばさん、もう少し考えてくれたらいいのに。」と思いながら見ていました。でも、今は、親戚のおばさんの気持ちが手に取るようにわかります。清太が部屋で寝転んで雑誌を読んでいる姿にイラつくのも分かる。晴太と節子の食器が洗われないまま流しに置いてあったらそりゃ洗うけど文句言いたくなるだろうよ。

生きることって単純に善悪じゃないと思えるようになって、市井に生きる人にはすべて生活があることを実感できるようになったのです、きっと。平たく言えば、年を取ったということです。

その「火垂るの墓」の音楽監督は なんと 間宮芳生 先生でした。

間宮先生は、私の思い出深き1990年全日本吹奏楽コンクール課題曲C「カタロニアの栄光」を作った方です。30年近くたった今でも人気が高く名曲中の名曲と言われています。

もちろん聞きたい衝動は抑えられず、youtubeで「カタロニアの栄光」を見つけて聞いてみました。

泣きました。1990年の出来事が走馬燈のように駆け巡りました。

私の友人のことを好きだった男友達から電話があり夜遅くまで話をしながらなぜかピアノ演奏を聞かされたこと。夏休みの部活のお弁当に豆腐1丁を持ってくるのが一瞬流行ったこと。部活帰りにうどん屋さんに寄った時「おかめうどんって何ですか?」と聞いたら「お前の顔だぁ」と言われて大笑いして結局一度も食べずに終わったこと。

そんなこんなを思い出しました。

youtu.be

 

私は過去のことを忘れがちです。加齢によるところもあるかもですが、過去のことを覚えている余裕が、私の脳にはないと思われます。「〇〇行ったよね~。」と言われても、だいたい覚えていません。

とは言え、ABC理論によるところの(A)出来事(B)思考(C)結果の、(B)思考を自らネガティブにすることで、過去に囚われて、悲惨な今の(C)感情を生んでいるところもあったわけです。

過去を覚えていない私も、自ら囚われてしまう過去はあります。

昨日、私はその囚われている過去に自ら足を踏み入れて行動してみました。

笑いました。いろいろな出来事が走馬燈のように駆け巡りました。

詳しくは割愛しますが、今が過去を凌駕した瞬間でした。

ネガティブ思考のほとんどは、行動しないために生じています。頭の中で考えているだけ・想像するだけ・言うだけなど。(A)行動して、新たな(B)思考をして、(C)結果・感情を生み出すしか、ネガティブを抜け出す方法はありません。

もう本当にそれしかない。やってみるしかないです。怖いけど。大丈夫。

 

高畑勲監督が亡くなり急きょ放送された『火垂るの墓』から間宮芳生先生を見つけ懐かしい「カタロニアの栄光」を聞き過去に思いをはせながらもしょせん過去は過去でしかないと思えたのでした。だから「過去ロニアの栄光」なんつって。

 

私(たち)は未来に向かっています。