さばみのIgA腎症との35年ノート

IgA腎症とともに生きて35年。いよいよ扁摘ステロイドパルス治療がはじまりました。

妊娠と出産のこと①

私が一人目を妊娠したのは28歳の時でした。健診で尿蛋白が見つかったのが10歳ですから、IgA腎症になってすでに18年経過しての妊娠でした。

20歳の時に1回目の腎生検をしてIgA腎症と確定診断されています。当時、大学生だった私は地元を離れていて大学病院腎臓内科に通院することは出来ません。先生からは「とりあえず地元に戻ってくるまでは通院しなくて大丈夫。体調に変化があった時と、妊娠した時は、必ず受診すること。」と言われ、2~3年大学病院腎臓内科の受診を中断することになります。妊娠は腎臓にかなりの影響を及ぼすそうで、先生から「絶対だよ!」とけっこう強く言われた記憶があります。

 

その後、地元に就職しました。IgA腎症とは思えないほど昼夜関係なくガムシャラに働きました。働いて2年目かな、会社の健診で「尿蛋白」が出て要精検になり、再び大学病院を受診しました。今冷静になって考えれば、多分、働きすぎでした。楽しかったですけど。

 

そして、妊娠しました。けっこうな激務でストレスも多い職場で、尿蛋白が出続けている状態での妊娠です。まだ若いこともあって、血圧は100台、貧血も低アルブミンもひどくなく、体調もよく、薬は何も飲んでいませんでした。

もちろん妊娠が分かり大学病院腎臓内科をすぐに受診しました。腎機能低下もあまりありませんが、妊娠時健診の時に腎臓内科も一緒に受診するようになりました。

しかし、私が選んだ産科は大学病院内の産科ではありませんでした。出産した日に美味しいフランス料理フルコースが出るし、おやつは美味しいし、部屋はきれいだし、買い物は便利だし、という評判のよい産科専門医院でした。しかも、大学病院の近くです。

フランス料理フルコースのためとは言え、大きいお腹で産科健診を受けて、次に大学病院に行って腎臓内科を受診するという流れは、なかなかハードなものでした。

 

妊娠中の尿蛋白は、(プラスマイナス)から多くても(+)で推移していました。血圧も110台です。体重は9㎏増えていました。が、35週まではすこぶる順調でした。お腹の中の赤ちゃんは、少し小さいと言われていましたが、こちらも順調でした。

35週に入り、血圧が130台に上がります。尿蛋白が(2+)に上がります。体重がさらに1㎏増えます。

36週でまた体重が1㎏増えます。

37週に尿蛋白が(4+)になり血圧が130台、また体重が1㎏増えました。

ここで、産科医院から「大学病院に行きすぐ入院するように。多分、大学病院ですぐに赤ちゃんを取り出すことになるだろう。」と言われました。産科医院から車で10分ほどの自宅に帰ることも許されませんでした。産科医院から大学病院に直行し、そのまま入院となります。入院したのは腎臓内科ではなく産科病棟です。

妊娠中毒症」でした。

すぐに家族を呼んで帝王切開での出産を検討することになったのですが・・・。先生がびっくりするほど、お腹の中の赤ちゃんが超元気だったのです。

母体が妊娠中毒症になるとお腹の中の赤ちゃんにも負担がかかるそうです。そのため早くお腹から出した方が負担が少なくてよいのですが、赤ちゃんのためにはできるだけ40週近くお腹にいてほしいというジレンマがあるそうです。

私の場合は、赤ちゃんが驚くほど元気だったので、もう少しお腹の中にいても大丈夫だからと自然分娩を待つことになりました。

緊急入院から出産まで約2週間かかっています。その入院している2週間、何か治療をしたのか、何の薬を飲んだのか記憶にありません。

食事は、もちろん腎臓病食でした。他の妊婦さんよりかなりさみしい食事でした。

点滴はしていました。点滴をしていた時の景色の記憶はあるのですが、点滴の内容はわかりません。

腎臓内科の先生がちょこちょこ産科病棟に来てくれていたのは覚えています。

産科のトイレに私の24時間蓄尿容器が置いてあったのも覚えています。蓄尿しているのは私だけではなかったはずだけど、それでもちょっと恥ずかしかった記憶があります。

入院中、お腹の中の赤ちゃんがずっと元気だったのが救いでした。

 

出産の時は、自然に訪れました。