さばみのIgA腎症との35年ノート

IgA腎症とともに生きて35年。いよいよ扁摘ステロイドパルス治療がはじまりました。

妊娠と出産のこと④

入院はしなかったものの2人目の妊娠でも妊娠中毒症になってしまった私。塩分を取りすぎないように食事に気を付けて、体重が増えすぎないように散歩して・・でも尿蛋白は出続けてしまっていたのです。出産間近には、顔も体もだいぶむくんでいたので、そんな母体のお腹の中にいる赤ちゃんもさぞ苦しかったろうなと思います。

自然分娩で生まれた赤ちゃんは2200gと予想より小さな赤ちゃんでした。1人目より100gだけ小さいのですが、赤ちゃんの100gというのは違いが如実です、2人目はずっとずっとか細い印象の赤ちゃんだったように記憶しています。小さく産まれたため「赤ちゃんと一緒には退院できないでしょう。」と言われ、出産後の入院中に搾乳の仕方と病院への届け方などを教えてもらっていました。

私の体は順調に回復しました。血圧も体重もむくみも、約1週間で心配ない程度に戻りましたが、尿蛋白だけは(+)のままです。1人目を出産してしばらく尿蛋白(-)の時期があったので、少し期待していたのですが甘かった。結局、2人目を出産してから以降今日まで尿蛋白(-)は見たことありません。

私と赤ちゃんとが一緒に退院するには赤ちゃんの体重が2300gを超えなければいけません。もうちょっとで2300gに到達しそうでも、生まれてから1度も超えたことはありませんでした。

私が退院するその日、朝の母乳をあげていると、赤ちゃんがものすごい勢いで飲み続けています。それを見ていた看護師さんが「もしかして2300g超えるかも。ゲップとかおしっことかうんちで母乳が出ない内に、飲み終わったらすぐに体重を測ろう。」と提案してくれました。母乳をガッツリ飲み終わってお腹がぷっくりふくれた赤ちゃんをゲップもさせない内に体重計にのせると、ななななんと、初めて2300gをちょっとだけ超えていたのです。これが体重公式記録になるので一緒に退院できる!驚きの奇跡でした。その後ゲップをしてもりもりのうんちが出ましたので、うんち後に体重を測っていたら一緒に退院は出来なかったでしょう。

めでたく一緒に退院してからは、自宅で仕事しながらの2人の子育てがはじまります。職場の大変革期だったため育児休暇をとらずに産後休暇だけで職場復帰したのです。IgA腎症なのによくやるな・・と、今は自分で自分に失笑しますが、当時はいろいろな事情が重なり、私自身が早く仕事に戻りたかったのです。なのに、仕事に復帰し程なくして、職場の大変革がとん挫し、あっという間に通常業務に戻るという顛末があったのはここだけの話。

その後も、仕事をバリバリしながら、夜まで働くこと多数、土日も働くこと多数、出張多数、人前に出ること多数、をしながら2人の子育てをしていました。多分無理してました。当時は無理してるなんてちっとも思っていなかったし充実してた時間でした。

 

そういえば、退院時だったかな、退院1か月後の腎臓内科健診だったかな。先生から「出産はもうしない方がいい。腎臓を考えると3人目は難しい。」と言われました。もともと、2人出産できただけでもラッキーと思っていたので「3人目は全く考えてませんよ。」と答えたものの、自分の腎臓がそういう状態にあることには少しショックを受けました。

今思えば、この時点で、私には自覚症状はないしIgA腎症に対する意識もなかったけれど、先生は腎機能の低下の具合とか今後の病気の進行速度について分かっていたんだろうと思います。

 

それから私のIgA腎症は悪化の一途をたどります。もうこれは仕方ないことだと思います。だって尿蛋白が検出された10歳から30年以上経過しているのですから、腎臓もお疲れでしょう。以前の研究では、り患20年で透析率60%でしたもの。

そして、妊娠中毒症(しかも2回)になったIgA腎症患者は高血圧を呈しやすいという研究仮説の通り、あっという間に血圧が高くなり腎機能も低下し、コバシル内服治療が始まります。

とうとう服薬治療が始まってしまったかと思う反面、先生方が日夜研究している仮説を身をもって証明できて、ある種嬉しさも感じました。IgA腎症+妊娠中毒症で、30年以上同じ大学病院に通いカルテが残っていて、今後も通い続けるという絶好の研究材料です私。この感覚を持ち続けていることで自分の病気を俯瞰して冷静に見ようともしています。

出産してもしなくても、IgA腎症であれば腎臓が疲れる・腎機能が低下するのは自明の理なのだと思います。だから、私は、自分の中でIgA腎症と共存しようと思っています。あきらめとも仕方ないとも違う「自分の中で共存しようとする対象物」というのがIgA腎症を考えた時に最も近い表現かもしれません。

だから、どっちにしろIgA腎症は自分の中にいるので、出産してもしなくても、現在の気持ちに大きな変化はなかったと思います。が、出産して2人の子どもたちに出会えたことは何ものにもかえがたい宝物ですので、出産したから見つけられる風景はあるように思います。

2人目を出産し5年後くらいから「扁摘ステロイドパルス治療をした方がいい」と先生に言われ続けてきました。私は「やだよー」と言い続け、腎機能がすごい低下するけど次の受診には持ち直す を繰返し、結局、2回目腎生検と扁摘ステロイドパルス治療をしたのは2人目が11歳の時でした。

でも、とにかく元気です。治療しているけど何でもチャレンジできます。減塩たんぱく制限食しているけど普通に外食してるしお酒も飲んでます。仕事も悩みながらガンガンやっています。疲れたら遠慮なく休んでます。

子どもたちも青春の真っただ中を生きています。

 

妊娠出産を2回経験し扁摘ステロイドパルス治療まで終えた今、一番大切だったと思えるのは「医師への信頼」です。私は大学病院に30年以上通院入院していますので、もちろん主治医は何人も変わりました。そのたびに、意識的に、いろいろいろいろなことを質問します。それを繰返して医師と信頼関係を作っていくように心がけていました。

 

「私はどのくらいで透析になる?」

「前の先生は、予後はそんなに悪くないって言ってたけど?」

「何年生きられる?」

この手の質問はだいたい研究の話になります。ものすごい興味深いんですよ研究話。ただ、余命の話になった時には「死ぬのは分からん。が、IgA腎症は心臓病罹患率が高くなるから他の人より突然死リスクは高い。」とサラッと言われて恐怖しました。

ステロイド治療はしたくない。なぜならムーンフェースになりたくないから。」

「フランス料理のフルコースが食べられるから産科は〇〇産科医院にしたいけどいい?」

「今日の尿に塩は何g出てる?」

「昼の薬は仕事上飲み忘れることが多い。夜寝る前にまとめて飲んでもいい?」

治療に関することは、呆れられながらも、よい悪いをハッキリ答えてもらって気持ちよい。

「今、工事している病棟は何病棟?」

扁桃腺を切るのは先生じゃないの?」

「先生はなんで医者になったの?」

ほぼ雑談です。先生を知って信頼するためには、限られた診察時間の中でいかに雑談するかがけっこう大事だと思います。

 

パッと思いついた私からの質問だけを書きましたが、こりゃ、ただのわがままおばさんですな。それでも、先生はちゃんと答えてくれます。

聞きにくいことでも、先生が答えにくいかもということでも、勇気をもって質問します。だって先生はプロですから。答えてくれます。患者からの質問に答えない先生は主治医を交代してもらった方がいいと思うくらいです。

医師を信頼できたことが、妊娠中毒症になりながらも妊娠出産できたし、IgA腎症が悪化しても後ろ向きにならず治療を続けられている大きな要因のひとつです。

 

腎機能は低下しました。IgA腎症も重くなりました。CKD分類も赤(重症)になりました。でも、出産できたことは何ものにもかえがたい喜びです。治療だって、やってやろうじゃんって気持ちになれます。