さばみのIgA腎症との35年ノート

IgA腎症とともに生きて35年。いよいよ扁摘ステロイドパルス治療がはじまりました。

ビッグデータで治療・研究 大賛成

今朝のラジオでこんなニュースをやっていました。5千万人分の診療情報をデータベース化して活用する。との内容です。

聞いた瞬間から、大賛成です!

www.yomiuri.co.jp

IgA腎症で言えば、日本にいる32,000人の患者のデータをきちんと集めて分析すれば、患者32,000人に何らかの共通項が見つかって発症の原因がわかってくるかもしれません。

今わかっている「IgA腎症発症は日本やアジア太平洋地域に多くて北欧北米に少ない。」ということと何らかのつながりが見いだせるかもしれません。

そうすると根治が見えてきます。

扁摘ステロイドパルス治療の効果が出るか出ないかは運次第。効果が得られる人と得られない人の有意な違いはないというのですから、もう、誰にもどうしようもない。

このことだって、データ集約できれば、どういう患者に扁摘ステロイドパルスが有効かどうかわかってきそうです。

夢は広がります。

さすが、ビッグデータ。頼むよAI。死ぬまでにIgA腎症克服!に立ち会わせくれ!

 

少し前に「AIにとってかわられる職業ランキング」的なものがありました。私の職業はAIに代わられにくい職業の上位に入っているのですが・・・

私は、AIに代わられたい!誰にでも同じようにできる職業にしたいのです。基本はいつ誰がやっても同じようにできる。そこは思う存分AIにお任せ。そして、その場その場でその人の心の機微に合わせて対応しなくちゃいけないことにだけ集中して人間がやる。そんなことに憧れをいただいているのですがね・・・。

どうでもいいですけど。

 

とにかく。

診療情報のビッグデータ化、期待しています。

患者として何でも協力します。入院時の治験協力も何でもOKでやっていましたもの。

なんでIgA腎症が発症するのか、どうやったら完治するのか。知りたいですね。

「過去ロニアの栄光」・・『火垂るの墓』から

高畑勲監督の追悼として、昨日の金曜ロードSHOW(日テレ)で「火垂るの墓」が放送されました。コナン君の予定だったらしいですね。

だいぶ若い頃に見た映画です。若い頃は「あの親戚のおばさん、もう少し考えてくれたらいいのに。」と思いながら見ていました。でも、今は、親戚のおばさんの気持ちが手に取るようにわかります。清太が部屋で寝転んで雑誌を読んでいる姿にイラつくのも分かる。晴太と節子の食器が洗われないまま流しに置いてあったらそりゃ洗うけど文句言いたくなるだろうよ。

生きることって単純に善悪じゃないと思えるようになって、市井に生きる人にはすべて生活があることを実感できるようになったのです、きっと。平たく言えば、年を取ったということです。

その「火垂るの墓」の音楽監督は なんと 間宮芳生 先生でした。

間宮先生は、私の思い出深き1990年全日本吹奏楽コンクール課題曲C「カタロニアの栄光」を作った方です。30年近くたった今でも人気が高く名曲中の名曲と言われています。

もちろん聞きたい衝動は抑えられず、youtubeで「カタロニアの栄光」を見つけて聞いてみました。

泣きました。1990年の出来事が走馬燈のように駆け巡りました。

私の友人のことを好きだった男友達から電話があり夜遅くまで話をしながらなぜかピアノ演奏を聞かされたこと。夏休みの部活のお弁当に豆腐1丁を持ってくるのが一瞬流行ったこと。部活帰りにうどん屋さんに寄った時「おかめうどんって何ですか?」と聞いたら「お前の顔だぁ」と言われて大笑いして結局一度も食べずに終わったこと。

そんなこんなを思い出しました。

youtu.be

 

私は過去のことを忘れがちです。加齢によるところもあるかもですが、過去のことを覚えている余裕が、私の脳にはないと思われます。「〇〇行ったよね~。」と言われても、だいたい覚えていません。

とは言え、ABC理論によるところの(A)出来事(B)思考(C)結果の、(B)思考を自らネガティブにすることで、過去に囚われて、悲惨な今の(C)感情を生んでいるところもあったわけです。

過去を覚えていない私も、自ら囚われてしまう過去はあります。

昨日、私はその囚われている過去に自ら足を踏み入れて行動してみました。

笑いました。いろいろな出来事が走馬燈のように駆け巡りました。

詳しくは割愛しますが、今が過去を凌駕した瞬間でした。

ネガティブ思考のほとんどは、行動しないために生じています。頭の中で考えているだけ・想像するだけ・言うだけなど。(A)行動して、新たな(B)思考をして、(C)結果・感情を生み出すしか、ネガティブを抜け出す方法はありません。

もう本当にそれしかない。やってみるしかないです。怖いけど。大丈夫。

 

高畑勲監督が亡くなり急きょ放送された『火垂るの墓』から間宮芳生先生を見つけ懐かしい「カタロニアの栄光」を聞き過去に思いをはせながらもしょせん過去は過去でしかないと思えたのでした。だから「過去ロニアの栄光」なんつって。

 

私(たち)は未来に向かっています。

尿蛋白が増えています・・・謎(退院から5回目外来)

2ヶ月ぶりの大学病院腎臓内科外来受診日でした。

血液検査と尿検査をして、先生の受診です。

「体調どう?」と聞かれたので「ステロイドが15mgに減った瞬間から、ものすごく体調がいいんです。ステロイドが減ったからなのか、食事量を前より食べるようにして体力がついたのか、腎臓がよくなったのか、理由はわからないけど。」と答えました。すると先生から衝撃の答えが・・・。

「尿蛋白が増えてるんだよ。」

え・・・・ええええええ!!!!!ガビーン!!!!!

クレアチニン補正した尿蛋白量が、今日は0.507g/gCr でした。

ステロイドパルス後に退院してから、一時は、0.147g/gCr まで下がったのに・・・。正常値は 0.15g/gCr 以下です

ステロイド治療前には2g以上とか普通にあったので、今考えるとものすごく恐ろしい。

 とにかく、ここにきて尿蛋白が増えています。

血尿は(-)です。腎機能そのものの低下も進んでいません。

なのに、どうして尿蛋白が増えるのか・・・。

先生も「なんでだろう?う~ん、何かな?」と、今日は、いつもより悩み深い表情。

CKD(慢性腎臓病)重症度分類も、eGFRだけ見ると51で中度低下(オレンジ)になったのに、尿蛋白が多すぎて重症(赤)になってしまうのです。

尿検査と血液検査には、だいたい最近1週間の生活が現れるそうです。

日曜日にフランス料理を食べにいったのです。たんぱく質を過剰摂取してきました。最近は食事量を増やしていますし、お魚やお肉も以前より食べています。そんな食生活が影響したのかと思いましたが、そうでもないらしいです。

ちなみに、日曜日にフランス料理を食べても、尿中の塩は7gない程度でした。日ごろからの減塩が板についているんだわと自分で自分を労わりたい気分。

前回受診時に、心臓ドキドキ動悸バクバクでつらいと話をしたところ、血圧が下がりすぎて上げようとしている現象だろうとコバシルが半量に減りました。それからは、見事に心臓ドキドキ動悸バクバクはありません。が、やはり血圧がジワリと上がっています。3ヶ月平均が125/74。

この血圧上昇と、尿蛋白の増加は、関係がありそうです。先生がうなっていましたから。

でも、血圧とか腎機能そのものの薬は今日は変更しませんでした。先生曰く「こういう時に薬をいじるとろくなことがない。そのままいこう。」だそうです。

前回の心臓バクバクの時は自信のある仮説だったから薬を減らして、今回はきっとそこまで自信のある仮説ではないから何もしないんだろうなと思いました。

でも。

ステロイドは減りました。ヤッター!!。10mgになりました。

肺炎予防のダイフェンは必要なしで飲まない。骨がもろくなることを予防するアルファカルシドールは2錠から1錠に減りました。ステロイドとそれ由来の薬が、少しずつ減ったり無くなったりすることは、心からホッとします。ステロイドはいつか終わるという安心感。

血圧と腎機能の薬はおそらく一生飲み続けることになりそうです。ま、それはいいです。覚悟の上です。

尿蛋白が増える原因・・・知りたいな。

 

そんな気分で家に帰ってきて。

祖母が作った花瓶に庭に咲いている花を挿して玄関に飾ってみました。

いい香りもして、気分も晴れやか。

 

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「死」は「片付け」なり

IgA腎症だからということではないと思います。仕事柄、死が身近にあるからかもしれません。割と「死」を考えています。この「死」は自分の死亡のみです。

私は死を考える時、必ず「身の回りの物を片づける」という行為に帰着します。先日、ゴミ袋5袋分の衣類を捨てました。その前には本を売って4万円になりました。そんな類の行為をするときは「死ぬときにできる限り私所有の物がないように。」と唱えています。

現実的には、私が死亡した後、子どもたちが私の所有物を処分をする際にかなりのお金をかけることになってしまうことを避けたい!という気持ちがあります。だから、とにかく、今から処分できるものは処分しておきたいのです。

ものを片付けたり処分したりする先には死があるのです。

という話を友人にしたら「早すぎる!考えすぎ!」と思いきりダメ出しされました。

 

私の周り360度を見回すと、ものに囲まれています。意識的に片づけて処分していかないと増える一方です。ものは、所有者が死んだ途端に負の存在になりますからね。

1日1時間だけでいい。少しずつ少しずつ不要物をゴミ袋に入れる。そして、処分する。このサイクルを毎日続けられれば、物がだいぶ減るはずです。

という話を友人にしたら「普通に断捨離じゃん。」と呆れられました。

 

そうなんですね。多分、普通に大掃除とか断捨離とか呼ばれるだけの行為だと思います。

でもなぜか、私は、片付けやものの処分に未来の死をイメージしちゃうんです。

潜在的に、IgA腎症でリスク高な心疾患での突然死を避けたいという意識があるのかもしれません。

 

NHK朝ドラ「半分、青い」と腎臓病

時々、朝ドラを見られる朝があります。今日は、見られる朝です。

今日からスタートの「半分、青い」。

ヒロインがとてもかわいい子でした。内容はいまひとつ分からないのですが。私の大好きな「くらもちふさこ」の実物漫画が劇中に登場するそうです。(我ながら情報が薄い)

www.nhk.or.jp

 

さて、今日の「半分、青い」は、ヒロインの女子高校生がお母さんのお腹の中にいた胎児の頃にまで戻り、その時を回想する回でした。お母さんのお腹の中で羊水にうかぶ胎児がそのまま映り語るという映像。朝ドラっぽくなく生物の時間のような胎児の映像に衝撃を覚えました。

そのヒロイン胎児の語りを通して回想するシーンにこんな一幕がありました。

ヒロイン胎児をお腹に宿しているお母さんには、「もともと腎臓病があり結婚したけれど子どもは作らないと決めていた」というナレ説明が入ります。

そして、夫が「君が元気でいてくれるのが一番」と言い、妻は「産むわ」と決める。

すごくサラッと流れたシーンです。でもね。

産むと決めるまでの葛藤ったら、ガラス瓶を割りたくなるようなギャーっと叫んで走り出したくなるような感情だったろうな。もちろん産みたいっすよ。いや、決めてたかもしれないです産むって。でも、決めても決めても、産むことによって起きるかもしれない事柄に対しての不安は怒涛のように襲ってくるわけです。怖いんですね。

家族や友人がいてくれて不安やつらさを乗り越えて出産するんです、「半分、青い」も私も。でも、考えてみたら、産むのも腎臓病なのも自分なのですよ。腎臓病のお母さんが「痛い痛い」と言いながら出産するシーンはコミカルでクスッと笑っちゃいますが、こうやって痛みに耐えて産むことと一緒に腎臓病の不安を小さくして受け止めようとしたのかな・・と、ウルッときたのでした。

 

「半分、青い」のヒロインは1971年生まれ。(私とほぼ同年代ですが。)

1970年代は腎臓病の研究が始まったばかりの頃だと思われます。腎臓病は予後が悪くないと言われていた時代ですので治療技術も今ほど発達していませんでした。ヒロインを出産したお母さんの腎臓病は進行していくのか、腎臓病生活がどう描かれるのか描かれないのか、とっても興味がわくところです。

 

もうひとつの興味。「くらもちふさこ」の何の作品が出るのでしょうか。

私が一番好きな作品は『おしゃべり階段』。加南と線が一緒に行った(確か池袋だったと思う)レーザー光線のプラネタリウムに行きたくて仕方なかったのです。大人になってから何度かそれっぽいプラネタリウムに行ってみましたが違っていて、いまだに行けていません。

『おしゃべり階段』や『いつもポケットにショパン』、『海の天辺』なんかが出たら泣いちゃうな。

 

マスクを外しました

8月にステロイドパルス治療をはじめてからずっとずっとつけ続けてきたマスク。7ヵ月間1日も欠かさずにマスクをつけて生活をしていました。

が、しか~し。

昨日からマスクを外しました!

この花粉症の季節に、あえて、マスクを外しました。

だって、元気なんだもん。まだステロイド15mg服用中ですが、何ということはなく、元気ハツラツ真っ最中。感染症になる気が全くしません。

だから、思い切ってマスクを外しました。

スッキリ。気持ちがよい。暑くない。化粧をしようと思える。

マスクをしない生活って素晴らしいね。

これから扁摘ステロイドパルス治療をはじめる方へ

大人になってIgA腎症と診断されることはご苦労されることも多いだろうなと思います。

ちょうど加齢を意識する年齢くらいだと、「この疲れは年のせい?」「やる気出ないのは私がなまけているからかしら?」とか思ってしまいます。私は疲れすぎて体がきつくてやろうと思っていたことができなかったときには無根拠に「気合が足りない!」と喝を入れつつ、がんばれない自分に落ち込んでいたりもしました。

でも、それは、IgA腎症の症状だったのです。

扁摘ステロイドパルス治療をして分かりました。治療前と体の状態が違います。特に夜の疲れ方が格段に違います。「あの頃の疲れは、加齢でもなく、ましてやなまけ癖などでもなく、病気だったんだ・・・」と、とても腑に落ちました。

大人になってからの診断は、そんなことも含めて、青天の霹靂感が強いのではないかなと想像したりします。

 

扁摘ステロイドパルス治療をするには、体調や環境を整えるなどいろいろな準備が必要です。なにせ、全身麻酔オペとステロイドという強烈な組み合わせですし、入院も複数回だし長いですし。

これから受けようとする方は本当に大変だと思います。

(私も、準備段階で子宮内ポリープが見つかり、急きょ婦人科に入院しオペしましたた。)

 

大変なことたくさんありますが、扁摘ステロイドパルス治療は効きます。というか、私には効きました。効く人もいれば効かない人もいることは承知していますが、効きます!もうこうなればプラシーボ効果です。効きます!効きます!!効きます!!!

 

扁摘オペは2~3日後くらいからすごく痛いです。痛み止めを上手に飲んで乗り越えてください。夜寝る時には、のどケア潤い系マスクが重宝します。私はかなり助けられました。痛みは退院する頃から少ーしずつ少ーしずつ減っていきます。私は痛みがとれるまで時間がかかりましたが、それでも痛みはなくなります。我慢せずに痛み止めを飲んで時を待つ感じです。退院する時には先生にお話しして痛み止め薬は多めに処方してもらうと精神的にも安心できます。

 

ステロイドパルス治療の入院中は、様々な検査が終わると、ステロイドの点滴1時間程度以外には特にやることがなく、時間が使いたい放題ですが、易感染症のため、病棟から出ることが多分出来ません。なので、私は、入院前に読みたい本を事前に準備して積みあげて写真をとっておき、その写真から読みたい本を選び家族に数冊ずつ持ってきてもらっていました。あえて入院時期に合わせてパソコンひとつで出来る仕事を残して病室まで持ち込んで仕事もしていました。入院に合わせてポケットwifiを契約してインターネット環境も整えました(フリーwifiのない大学病院でした)。お陰でブログも始められました。せっかくの入院という閉じられた時間を思いきり好きに使わせてもらおうと、意気揚々と病室を整えていた記憶があります。

 

どうしても一生付き合っていかなくちゃいけない病気です。それぞれにいろいろあるけど、ゆるくゆっくりいきましょう。

 

これから扁摘ステロイドパルス治療をはじめる方みなさんに、治療効果がもたらされますように(祈)