さばみのIgA腎症との35年ノート

IgA腎症とともに生きて35年。いよいよ扁摘ステロイドパルス治療がはじまりました。

IgA腎症患者会に参加してみた

1時間ちょっとでしたがIgA腎症患者会に参加してきました。

参加者は総勢3名だけでした。

年に2回開催されているのですが「冬の参加者はいつも少ない。難病患者は寒いときに出かけるのが大変だから。」とのことでした。IgA腎症患者も冬は出かけにくいんですかね。いや難病云々ではなく、人間誰しも冬のお出かけは億劫だわということでしょうね。

参加者3名の患者会だったので思っていたより濃密な時間でした。

おひとりの方が私より人生の先輩でしてその方のお話をうなずきあいずちを駆使しながら聞いていたんです。おもしろかったです。考えさせられることも多かったですし。何より話をしてくれた人はいい人でした。とても前向きで明るく考える(ようになったと言っていましたが)人でした。

本当はIgA腎症の遺伝のことやこれから先自分の体がどうなっていくのかなどを聞いてみたかったのですが、それは遠慮しました。何となく、その人が話をしたいことがあるんだろうなと思ったので、その人が話をしてくれることを聞くことに徹しました。

欲を言えば、もっともっといろいろなIgA腎症患者さんの話が聞きたい。先輩方がどういう状況でどうやって生活しているのか知りたい。

次回暖かくなってからの開催時は「もっと参加者いますよ。」とのことでした。

 

ステロイドパルス入院している時に、少女が同室に入院してきました。少しだけお話ししたり、病室に蚊がいたときには大騒ぎでバチッとたたいて退治したりなど少々のコミュニケーションはありました。

その少女が退院するとき、ご両親からプレゼントをいただきました。「あなたがいてくれたから安心でした。」と言われたのです。

ご両親は、おそらく、いつもカーテンを開けたままでパジャマも着ずにベッドに横になることなく常に何かをやり動き回っている入院中なのに元気で、お見舞いに子ども2人が来ている私の姿を見て、娘さんの将来に少し安心感を持たれたのではないかなと思っています。

そう思ってもらえていたら先輩患者冥利に尽きるなと、私が勝手に考えているだけですけどね。

 

少女が退院していったときに書いた記事です。↓

sabamihya.hatenablog.com